大福帳
 

大福帳
画像 伊良部島・下地島
横構図で撮った安直な写真をセレクトしました。民間機の訓練飛行場がある下地島では、離発着の練習風景が見られます。ジャンボ機を海上で旋回させてタッチアンドゴーを繰り返すのですが、ゴオーとこちらに向かって頭上を通り越し海に出た飛行機は、腹に水面が反射して、エメラルドグリーン色に発光しているようでした。
左から2番目の浜は、岸からざぶざぶ入ったところがすぐにシュノーケルポイントです。餌付け禁止なためか、魚が小作りで穏やかでした。餌付け可のビーチの熱帯魚は、風雲児だった頃の落合福嗣君似の容貌とあばれっぷりで遊泳者に迫ってきます(特にムラサメモンガラ)。
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2006年 12月 20日 (水) 23:51
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風が吹いて蓮の花のつぼみが覗く

松竹が出しているメールマガジンの中に、「秋の一日、きものを着て歌舞伎座へ」という特集記事の紹介がありました。クリックしてみると、

「今日のファッションは「きもの」だから、どんな高級ブランドの服を着た日より堂々としている自分に気付く」

全身全霊他律的なメッセージが踊っていました。

もしかしたら
今日の演目は「浜松屋見世先」だから、金を払うより堂々とおしかけゆすり、ぶったくりたくなる自分に気付く※

こんな洗脳もありえます。実際観劇後「ブランドブティック」に突入したらしいですが、ドアマンの丁寧な態度を確認するにとどまったようです。

記事を読んで改めて考えてみたのですが、歌舞伎座内での和装は、どちらかといえば迷彩服に近いものではないかと、私は感じています。
≫ "観劇迷彩服としてのきもの " の続きを読む
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2006年 12月 20日 (水) 07:03
TVで画期的な映像が流れた模様です。
「学校で行こう」と「マラーホフ」を検索に入れて当サイトにいらした方が、突然増えました。でも検索に入れて引っかかるのは、たまたまその2語が、このサイト内に散らばっているからなので、少し申し訳ない気持ちになります。
そこで、せめてマラーホフについて言及してあるものを出そうと思いました。以前非公開のサイト「逃げ去るイメージ」に載せたマラーホフの記事を、だいぶ加筆の上、一部転載します。
ふだん非公開にしているのは、とりわけ内容がくだらないと思うからです。そこから表向きではない記述を抜いたので、さらに鶏がらのようになっております。お許しください。

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つくづく、動画の方が生き生きとして見えるバレエ・ダンサーだと思いました。
ネットに落ちてた画像をちりばめながら紹介します。

まず、どうして写真だと、赤毛ものをやっている森進一似になるのか不思議です。
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ABTのスター4人で撮っているこれは、ポーズからして割を食ってます。
(右端、びっくりオレンジがマラーホフ)
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さて、マラーホフ中心のガラ公演『マラーホフの贈り物』で踊ったソロ『caught』(ストロボを持って暗闇で一人踊る。光の効果と、精緻で消しゴムが2ヶ落ちたくらいの着地音しかしないジャンプにより、ずっと空中を移動しているように見える。そのままありえない世界に行ってしまいそうな身体)を観た後、ものすごく楽しいのではという予感に導かれて買った、マラーホフのDVD『True Prince』。
ぜひお勧めしたいドキュメンタリーです。友人は悶死しそうになったとのことです。
(略)
『マノン』の稽古兼指導風景は、マラーホフの熱が入るあまり、 一人でデ・グリューとマノンの勘一お宮芸を延々やっている感じです。紫色のロンパースを着込んだマラーホフも、大変印象的です。
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2006年 10月 30日 (月) 02:33
チェルフィッチュ公式サイトより『三月の5日間』 物語
アメリカがイラクへの空爆を開始した、2003年3月20日前後の東京が舞台。六本木のライブハウスで出会った男女が、そのまま渋谷のラブホテルへ行き、そこで五日間を過ごすことから始まる

2006年 09月 14日 (木) 01:22
昨日の「学校へ行こう」を観た友人が、
セミオノワとフォーゲルポリーナ・セミオノワ フリーデマン・フォーゲルの身長差ってあんなにあったんだねーと言いました。たしかに…セミオノワは頭がきわめて小さいので、9等身という情報があっても、そもそも1の長さがどれぐらいなのか、もはや見当がつきません。
そんな訳で今までは実際にステージを観ても、スタイルのことは「想像を超えているけど素晴らしいのはよくわかる」という感じで、ぼんや~り驚いてきた気がします。
ただ友人も私も前々回の「マラーホフの贈り物」に出演したセミオノワは、フォーゲルと踊っている時より、背の高いダンサーに見えました。やっぱりそれは、特に大柄ではないヴィシニョーワやマラーホフと並んでいるところを、相対的に眺めているからなのでしょう。

ところでイルギス・ガリムーリン(国立モスクワ・クラシカルバレエ)は、牧阿佐美バレヱ団のゲストとして踊る時は、外人に見えます。
でも牧の人たちも大勢出る新国立劇場主催のバレエ公演で、ボリショイのダイナミックなウヴァーロフと長身のザハロワがゲストの時にソリストとして出演していると、日本人に見える時があります。
「その場合、彼は日本人としてカウント」しているという人もいました。

踊りが醸し出すものとか新国立劇場との親和性とかが、ABCの三者で比較される場合。中間のB(ガリムーリン)は背の高さだけでなく、国籍まで変わって見えるのが不思議です。

稽古着で踊るセミオノワ。かっこいいです
Demo Music Video with Polina Semionova
なぜかマラーホフだけ脱衣姿で抱負を
For the 11th World Ballet Festival (in Japan)
2006年 09月 13日 (水) 01:16
大人計画フェスティバルのプレスプレビューに仕事で行ったら、世界バレエフェスティバルに出演したフリーデマン・フォーゲルをめぐる話と、すごくシンクロする瞬間がありました。詳細はSWITCHonExciteに載せる予定です。

というわけでその原稿を書いていたら、またまたタイムリーなことにTBSの「学校へ行こう」が世界バレエフェスティバルの話を取り上げ、セミオノワ・フォーゲル組が番組に登場しました。リハーサル室でちょっと披露した「ジゼル」第一幕のヴァリエーションでは、「音にあわせるのではなく音の先を意識して」とセミオノワ。

ポリーナ・セミオノワ フリーデマン・フォーゲル
そのほか番組では、バレエフェスティバルのBプロで彼らが踊った黒鳥PDDのリハ・舞台が映りました。が、個人的には文化会館を砂糖漬けにしたAプロのクランコ振付「ロミオとジュリエット」の方が、バレエのいろんな表現(いわゆるよく知られた古典とは違う音の使い方も踊りも身体も)を、紹介することができたのではないかと思うと、やや残念です。

実際に舞台で観たセミオノワの黒鳥は、広い肩や筋肉、表情の作り方に中性~男性的な雰囲気がありました。それと豊かで有名なバスト・首から上の華奢な造形がなんともアンビバレントで、身体がたくさんの言葉を持っていました。
かっちり「はい、見せ場ですよ~」と決めるというよりは、1音1音にぴたあとすいつく踊り方で、観ていると曲に小気味よいスピードが出ていたように感じます。プティパを踊って、しかも客が聴き慣れた音楽を新鮮に響かせる身体が、現代の振付家の作品をどんなふうに踊るのか、観てみたいです。

あと、私はオディールといえば以前観たステパネンコの頭飾りをすぐ思い出します。かなり巨大な羽をつけていて、それがうさぎの耳に見えたのでよく覚えているのですが、今回のセミオノワは額に赤い石を垂らしていました。これだけならそう珍しくないのですが、正面から観ると、後方からそそり立つティアラより額の石が目立ちます。
黒鳥の斜め上方に向く強いポーズに、そういう装飾や得体のしれない身体が、あちらから観て異形のものに惹かれるような、東洋的なニュアンスを与えていました。よく『白鳥の湖』のあらすじで紹介される、森を徘徊する悪魔ロットバルトの魔法で化けた娘オディール(あちらから観て同じ文脈)とは少し異質です。

悪のスパイスとしての東洋って、それはそれで古いかもしれないですが、「白鳥の湖」という作品の膨大な振付・上演史に照らして考えると興味深い気がします。
それにしてもTVでバレエの音楽だけ聴くと、ほんとにテンポがゆっくりなので驚きます。
フォーゲルの踊りはろくに映らなかったです。喋ると自然に「ゲイなのかな」と感じる雰囲気を醸し出していました。

AはBより大なり小なり…(バレエ)
2006年 08月 24日 (木) 01:32
最近になってW杯の話をしていたら、友人がさらっと「マテラッツィはバレエだったねえ」と言いました。私は我が意を得たりと大喜びです。

ほんとかなあと思われた方は、『椿姫』第3幕のパ・ド・ドゥ、『マノン』沼地(写真)のパ・ド・ドゥなどの、死にかけの主人公の踊りをぜひご覧ください。あの倒れ方が、ドラマティック・バレエのチープなパロディのような「どベタ」な表現であったことを、納得していただけると思います。
(足の甲にご注目ください。すごい屈曲!また単純に垂直方向だけを意識した身体ではなく、とめどなく刻々とあちこちに流れる人間の意識さながら、いろんな方向に力が分散されているのがわかります。
プティの作品を踊るフェリがポアントで立った時は、柔らかくて強い甲にたくさんの表情がありました。土着(特定少数)の人間関係の中で生じる、ちょっとした劇性とか会話のリズムとかを感じさせるような、独特のニュアンスを持った脚でした。
そしてこのマクミラン『マノン』。フェリはポーズというか脚だけでもう、いわゆる古典とは質の異なる身体が/身体と音楽との関係が、この作品にはあるんだろうなと想像させてしまうダンサーだと思います。画像:世界バレエフェスティバル パンフレットより)

早々にイタリアチームの優勝を予想した、身近にいる生粋の勝ち負け好き(テニスをしていたら、ラミレスに突然「ナイスプレイ」と褒められたらしい)の気迫のこもった観戦は例外として、私の周りで人気が集中したのはアルゼンチンの放送でした。皆の目的は一つ、客席のマラドーナを観るためです。
2006年 06月 16日 (金) 09:37
昨日上げた過去記事
ボリショイ・バレエ団 ファラオの娘 5月9日
ボリショイ・バレエ団 ファラオの娘 5月10日
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ナターリア・オシポワのキトリ

ボリショイ・バレエと全然関係ないが、このスクラップソフトを使っている。
スクラップブック紙
ホームページの取り込みと管理が簡単にできる。
とっておきたいページを、とりあえずお気に入りに入れていたら数が増えてしまった、という友人にこのソフトの話をしたら、教えてとのことで久々にサイトを覗いた。そのついでに紹介する。
2006年 05月 10日 (水) 00:00
アスピシア-ファラオの娘:マリーヤ・アレクサンドロワ
ウィルソン卿:ニコライ・ツィスカリーゼ
ジョン・ブル:デニス・メドヴェージェフ
ラムゼ:アナスタシア・ヤツェンコ

ペアシートで観に行く。昨日より前方の席だったので、プロローグとエピローグのアスピシアの表情がよく見えた。ラストはとても寂しげで、なにかをウィルソン卿に感謝しているようだ。
あの若さで何らかの理由で死なねばならず、コープス・ブライドのように、自分を娘から違うものにしてくれる人を待っていたのだとしたら。ますますウィルソン卿にとってはうっとりの状況だ。やはり異国情緒を盛り込んだだけでは、当時の客は満足しなくなっていたのかもしれない。昨日のメモはこちら

昨日の懸賞小説のような楽しさとはまた違い、陽気で権勢を誇ったコミュニティの感じ、またウィルソン卿の夢というより、SFの世界に引き込まれたウィルソン卿の視点を共有したような印象の残る舞台だった。アレクサンドロワの個性によるところが大きそうだ。ツィスカリーゼは一人で柔軟に恍惚と踊る時と、サポートで少しもたつく時の差が激しい。表情まで「あ、遅れました」と変わってしまうのが惜しまれた。

いずれにしてもバレエ団のピラミッドがしっかりしていないと、昨日や今日のように、自由に作品を読むことはできなかったと思う。オシポワ、ヤツェンコらソリストも大変よかった。バヤデールの時も感じたが、今回観ることのできたボリショイの公演はすべて、主役の持ち味が全体として観た時によく伝わってくる舞台だった。
2006年 05月 09日 (火) 00:00
東京文化会館
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アスピシア-ファラオの娘:スヴェトラーナ・ザハロワ
ウィルソン卿-タオールという名のエジプト人に変身してしまうイギリス人:セルゲイ・フィーリン
ジョン・ブル-ウィルソン卿の使用人で、パッシフォンテという名の
エジプト人に変身してしまう:デニス・メドヴェージェフ
ラムゼ-アスピシアのヌビア人の奴隷:ナターリヤ・オシポワ

懸賞小説を読んでいるような楽しさがある。プロットは…エジプトで阿片を吸って墓で寝たら、タイムスリップしてかっこいい青年になった俺。ものすごく美しい娘が出てきて、危ないところを助けたら猛然と惚れてくれた。宮殿に招かれる。豪華絢爛な宴。いつのまにか主役の俺。あとエキゾチックな踊り。そして娘は自分と駆け落ちしてくれる。押しかけてきた婚約者を拒絶して、貞操を守ろうと漁村で入水。うまいことこの世に戻ってきて、俺も間一髪で助かりめでたし(死んだ奴隷は気の毒だった)。俺、また踊りまくる…。
このゆるーい妄想の加減と曲の単調さ、変身の時にビリビリいっていたマジックテープなどのトホホ感が見事にマッチした。
ゆるい一方で、ディテールの異様な細かさもまた、「ここに全精力を注ぎ込んだんだなあ」と丸分かりになるマニアな小説のようだ。アスピシアの頻繁な着替え、ほとんど踊りっぱなしの主役、ジムナスティックで難しく、決まった時は爽快な振付、宮殿のシンメトリーな群舞、水宮の幻想的で繊細な美しさなど。
神輿のように担がれた2人が抱き合うもっともいいところで、そんな都合のいい話はやっぱり夢でしたとなり、ミイラのそばでウィルソン卿が正気に返る。他の古典作品に出てくる主人公より、ずいぶんまともで現実的な設定だ。
初演時は、見果てぬ豊かな国へのバーチャルツアーという側面もあったはずだ。当時の流行りものを全部つめ込んでヒットした作品でもある。なみの異国情緒だけでは満足しなくなった客は、この場をよりリアルな夢として感じたのだろうか。
2006年 05月 08日 (月) 00:00
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傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
  将監閑居の場
  浮世又平    三津五郎
  又平女房おとく 時 蔵
  狩野雅楽之助  松 緑
  土佐将監    彦三郎
「のび太のくせに」の100倍ぐらい濃い世界が展開される。「どもりのくせに」「手も十本…(泣く)」などなど。伝統芸能の治外法権を、昔の漫画や映画にも適応するべきだ。歌舞伎の言葉はいろんな意味で、現代の日本から見ると外国語に近い。話も冷静に考えるとめちゃくちゃ。でも台詞廻しを聴くと、型や音の運びや抑揚から立ち上る、頭の理解や心理読解を飛び越えた、人間の生々しい感覚の怒濤のウェーブにもらい泣きする。
時蔵は又平(どもりの絵描き)や宗五郎(たちのわるい酒飲み)など、何か抱えている人と一緒に長いこと連れ添ってきた、という役が似合う。暗くなりすぎない、独特のゆったりした空気が流れる。だから、名字をもらいたいという願いが叶わないと知り、師匠の家の庭で夫婦ともに死のうとする(すごいね)時に悲しいのだろう。辞世の句がわりに、又平が手水鉢に描いた自画像が、石を通り抜けて反対側(客席に向いた方)に滲み出てくるという奇跡が起きてハッピーエンドに。
保名(やすな)
  保名  菊之助
藤娘(ふじむすめ)
  藤の精 海老蔵 ←めずらしく女形
二人とも、それぞれの曲の中で歌われるような「愛しい女人」「つれないいい男」の役を演じている時に観る機会が多かった。今回はそういう人を想ったり語ったりする立場の役を踊るということで、いずれも初役であるという以上に新鮮に感じられた。(菊之助はふだん、立役・女形両方やる)。
藤娘、当て振りの部分を「ほら飲めよ」「ん、でも」と完全に一人二役というか、勘一お宮式の話法で踊っているような、変わった面白いアプローチだ。顔の力が並外れて強いためか、たまーにスイッチがうまくいかなくて、目のすわった藤の精のヤケ酒に見えたのが惜しまれる。
気狂いの保名のまわりに咲く菜の花を観て、黄色ってずばぬけてへんな色だと実感。季節×色彩の使い方が、うまくて無駄がなくて科学的ですらある。ヨーロッパの映画も天候の変化を巧みに使う。
黒手組曲輪達引(くろてぐみくるわのたてひき)
  番頭権九郎、花川戸助六 菊五郎
  紀伊国屋文左衛門    梅 玉
  鳥居新左衛門      左團次
  牛若伝次        海老蔵
  新造白玉        菊之助
  三浦屋女房お仲     田之助
  三浦屋揚巻       雀右衛門
海老蔵・菊之助、似合いの役に戻る。助六のパロディがたくさん出てくるが、助六自体何かのパロディのような、アンダーグラウンドな印象のある話だと思っていたので、あまりピンと来なかった。川に突き落とされたとーちゃんの方(菊五郎)が、矢鴨(!)のきぐるみ姿で生還する。使用曲は「ツァラトゥストラはかく語りき」。息子演じる、惚れた白玉を追って花道を引っ込む時は「恋のダウンロード」(こちらは編曲して下座が演奏)。
このくすぐりの場面でも、市井の中年男性を演じる菊五郎はとても説得力がある。でも白塗りになると、日焼けで顔がグレーになってしまう。学生時代に歌舞伎座で総稽古を見学した時、菊五郎が手だけ塗らずに稽古をしていた。もしやこれが「手抜き」の語源なのかもしれないと、ワクワクしたのを覚えている。
2006年 05月 07日 (日) 00:00
神奈川県民ホール
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ニキヤ -バヤデール:ナデジダ・グラチョーワ
ドゥグマンタ -ラジャ:アレクセイ・ロパレヴィチ
ガムザッティ -ラジャの娘:マリーヤ・アラシュ
ソロル -名高い戦士:ウラジーミル・ネポロージニー
来日公演の概要・物語・見どころはこちら

恋人ニキヤが死んだ直後、この版のソロルは「ハレ~」という感じで下手に引っ込む。「名高く、支配者の命令に背かない模範的兵士」から、「罪の意識にさいなまれる男」へのシフトチェンジは、この「ハレ~」で完了。なぜこうも無駄がない。

破綻のないクラシック・バレエってこういうものかと思った。おそらく最後の来日公演になるのだろうが、グラチョーワには昭和とか、暗めの赤絨毯のテイストがあった。バレエの身体を観に来ているのはわかっているのに、改めて「うわ背中柔らかーい」と目をみはる。影の王国では、結晶のようなグラチョーワの持ち味が、ピラミッドの上からダーッと群舞に伝わっていく統制のとれた舞台だった。

太鼓の踊りも、「異国情緒を得意とするダイナミックなボリショイの男性群舞」というよく聞くイメージを、なあんにも裏切らない。客の勝手な先入観に、ばっちり応えるのは大変なことだ。

バレエの場合、笑わせるつもりはないのに、ちょっとしたことが笑いに転じやすい。動きや表情からおかしな比喩を思いついたり、脳内でアテレコしたり。それでも基本的にダンサーや振付家への尊敬の念というのは揺るがず、真面目に作品について考えた上でのお楽しみをやっているわけなのだが、そういう見方で盛り上がれる人と、ケシカランという人は分かれる。
また技術上の失敗ではなく、化粧がとても変とか、芸術監督のセンスが野暮すぎるとか、バレエ団内の政治により起用されたことが露骨にわかってしまう時など、驚いて笑いがこみあげてくることがままある。ただこれは、コミックならざるコミック・バレエというか、少しさみしい笑いだ。

でも今回は、今書いた2つの笑い、どちらにも意識が逸れることがなかった。恐るべしボリショイ・バレエ。
2006年 05月 05日 (金) 01:21
3日 新橋演舞場


座頭の吉右衛門は、具象→抽象の飛び方が鮮やかで勢いがあり、今の歌舞伎役者で一番好きだ。
2006年 05月 01日 (月) 00:14
パリ・オペラ座来日公演『白鳥の湖』の補足記事
ピナ・バウシュ/オルフェオとエウリディーチェ
(2005.06パリ・オペラ座 ガルニエ)
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「マリ=アニエス・ジロを観ると、『あさりちゃん』に出てきた大きなバレリーナを思い出す」という知人がいる。ジロは背丈だけならルテステュとそんなに変わらないという話も聞く。やはり上半身を逆三角にかたちづくるあの筋肉が、ジロ独特の大きさを感じさせるのだろうか。
今回の『白鳥の湖』では、急な降板で踊りを観ることができなかったので、さみしく思い出の中のジロをたどってみよう。

私が舞台で観た、すべてのジロは…『アパルトマン』、『ジュエルズ』ルビー、『ラ・バヤデール』ガムザッティ、『オルフェオとエウリディーチェ』エウリディーチェ、それから『白鳥の湖』プロローグでの後ろ姿。
その中でのベスト・ジロは『ジュエルズ』のルビーを踊った時だ。幕が上がるとジロが中央にいて、横一列なのにV字に並んで見える迫力に少し感動した。そして周りにいる男性のダンサーが飛んでいきそうなダイナミックなジロの回転と、「はっしー、はっしー」と擬音をつけたくなる身体の切れのよさ。厳か一点張りの踊りではなく、この曲のジャズっぽい部分の面白さ、アメリカバレエ文化のエッセンスもよく出ていたと思う。

※バランシン振付『ジュエルズ』は3部からなり、宝石のイメージの3種の音楽を選んで振付けている(エメラルド:フォーレ作曲「ペアレスとメリザンド」/「シャイロック」 ルビー:ストラヴィンスキー作曲「ピアノとオーケストラのための奇想曲」 ダイヤモンド:チャイコフスキー作曲「交響曲第3番 ニ長調」)。4つの音楽を、3本の目に見える太い柱にしたみたいな作品。言葉の制約から解放された世界の広がりが、振付につまっている。

そのほかのジロの思い出…去年ガルニエで観た『オルフェオとエウリディーチェ』は、グルックのオペラを使った作品だ。タイトルにOpéra danséと書かれているとおり、次の3役はオペラ歌手とダンサーが2人1組で登場する。

L'amour
ORPHEE
chanté par Charlotte Hellekant
dansé par Yann Bridard

La mort
EURYDICH
chanté par Jael Azzaretti
dansé par Marie-Agnés Gillot

La jeunesse
AMOUR
chanté par Aleksandra Zamojska
dansé par Miteki Kudo
2006年 04月 25日 (火) 01:00
24日 東京文化会館
swan_bottom.jpg


追記 07.06.12

昨日友人と話をしていて、エミリー・コゼットの話題が出ました。オペラ座でコゼットがエトワールに任命された夜のチケットを持っていたのに、都合で観られなかったそうです。もし観ていたら、珍しさでは私の体験(コゼットが途中から代役で登場した来日公演を観た)の比ではなく、あの公演のしょんぼり感を、私とともにわかちあった会場の方々の耳目を集めるレポートが聞けたのではないかと思います。

今改めて、公演を振り返ってみますと…
プロローグ、マリ=アニエス・ジロが、ロングドレス姿で出てきました。大きくてシャープな身体です。王子がうたた寝している脇で、ロットバルトとの絡みを少し見せます。後のオデットではどんなふうになるのか、期待が高まりました。

1幕後半、オデット登場。

………ジロが縮んだ!!!

別人(コゼット)が踊っている、と理解するのにどれぐらいかかったでしょうか、たぶん3分ぐらいだったと思います。

コゼットのマイムは、下のメモにも書いてあるように必死の形相でした。説得力ありとか手の動きに力があるとか、本筋(ロットバルトに囚われた悲しい身の上を訴える)に絡めて書いてますが、今ならもっとわかりやすく、こう表現できます。

「えっと私『大きな白鳥』のはずだったんですけど、急に上からオデットやれって。いやもう、ほんと急に。それで私抜けた分、ていうか抜けたのはジロなんですけど、役が繰り上がっちゃって、さっき舞台裏で叫んじゃった人とかいて(中略)タシケテ」

衣装が大きいのか、肩紐がずり落ちそうになりながら、このマイムをやっていました。ジロのを借りたのか、あるいはほかの日にオデットを踊ったアニエス・ルテステュの衣装だったのかな…。
王子のマルティネスは、驚いた様子はなかったです。「ああはい、了解」という落ち着いた表情でした。

追記終わり

JRダイヤ(1)もカンパニーもドミノ倒しになった日。プロローグ後にオデット/オディールのマリ=アニエス・ジロが降板した。別の役についていたアンダーのエミリー・コゼットが両役を踊る。(オペラ座の管理体制あやうし)

ここまで音楽の一音一音に技巧をつめこむかという難度の高い、しかも空間移動も激しい振付のところに、玉突きで役が繰り上がって混乱をきわめたため、舞台上はさながらトム&ジェリー状態に陥る。1幕途中では袖から驚いたような、へんな声が。以前、指揮者がピットで気持ちよさげに歌っていたバレエを観たので、うっかりノッてしまった歌声が聴こえたのかと思ったほどだ。

王子以外の男性の役を、すべて振付のヌレエフが踊って合成した映像で観てみたい。『チャーリーとチョコレート工場』のウンパ・ルンパの要領でやるのだ。そんなものはもはやバレエではないし、叶うはずもないが、多分それだと振付のほんとに細かいところまで、理想的なかたちで観ることができるのではないか。というぐらい天才のワガママを間接的に堪能できる振付だった。
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