大福帳
 

大福帳
画像 伊良部島・下地島
横構図で撮った安直な写真をセレクトしました。民間機の訓練飛行場がある下地島では、離発着の練習風景が見られます。ジャンボ機を海上で旋回させてタッチアンドゴーを繰り返すのですが、ゴオーとこちらに向かって頭上を通り越し海に出た飛行機は、腹に水面が反射して、エメラルドグリーン色に発光しているようでした。
左から2番目の浜は、岸からざぶざぶ入ったところがすぐにシュノーケルポイントです。餌付け禁止なためか、魚が小作りで穏やかでした。餌付け可のビーチの熱帯魚は、風雲児だった頃の落合福嗣君似の容貌とあばれっぷりで遊泳者に迫ってきます(特にムラサメモンガラ)。
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2008年 02月 25日 (月) 08:48
大女優二人が実の娘と共演していますが、他人なのに似ていて驚いたのがグレン・クローズとメリル・ストリープです。1950年代のシーンに登場するクローズは、アメリカの名家の奥様。コンサバティブな装いから毒を含んだ台詞まで、本人よりもキャラクターの記号に目がいきがちな役を楽しげに演じています。ストリープはその娘、といっても母より歳を重ねて現代の場面に登場。怒りや辟易した気持ちではなく、愛情で過去を振り返ることのできる能力で、死の床で深い悔恨の内にある親友を慰めます。二人とも短い出演シーンですが、メリル・ストリープは何役やるのかな!?と一瞬思ったほどの、見事なバトンリレーでした。

evening.jpg
 

物語:死の床にある老婦人アンを、枕元で見守る二人の娘。混濁した意識の中でアンは、娘たちの知らない男性の名前を何度も口にする。"ハリス"という男性と、母はかつて"過ち"を犯したのだという…。意識と無意識の狭間を漂うアンの記憶は、1950年代のある週末の出来事へと遡っていく。ニューヨークで歌手になる夢を持った24歳のアンは、親友ライラの結婚式でブライズメイドをつとめるために、ロードアイランドの海辺の町を訪れ、そこで運命の恋に落ちたのだ。だがその恋には悲劇的な結末が待っていた──。自分たちの知らない母の人生を垣間見た娘たちは、悩み迷いつつも人生の決断をする一歩を踏み出す…。

ちなみに役と実際の親子関係はこうなっています。
ライラ
1メリル・ストリープがライラ(現在・老年期 画像下左)、グレン・クローズがライラの母(50年代・中年期)を演じる。
 他人だがこの映画では似ている
2メリル・ストリープがライラの老年期、メイミー・ガマー(画像上左)はライラの若年期を演じる
 ガマーはストリープの実の娘。そっくり

アン
1ヴァネッサ・レッドグレイヴがアン(現在・老年期 画像下右)、ナターシャ・リチャードソンがアンの長女コンスタンス(現在・中年期)を演じる。
 リチャードソンはレッドグレイヴの実の娘
2ヴァネッサ・レッドグレイヴがアンの老年期、クレア・デインズ(画像上右)はアンの若年期を演じる。
 他人。しかもイギリス人とアメリカ人

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さて老女ライラは、愛情で過去を振り返ることのできる能力をどこから得たのか。死の床にあるアンが50年代を追憶するシーンで、若い女優たちがこれを解き明かしています。結局ライラは、ハリスに捧げた思いが叶えられずに迎えた自分の結婚式で、ずっとそばにいて自分のために歌ってくれた親友アン(クレア・デインズ)に、その能力の原形のようなものを感じ取ったのだと思います。この時「タイム・アフター・タイム」を歌うデインズのジャズ・ヴォーカルが、生き生きとした広い世界を伸びやかに表現していてよかったです。

若きライラ、メイミー・ガマーの演技も繊細でした。たとえば場違いな格好でお宅に来てしまったと言うアンに、そうは思わないと答え、ほんとうに感心したように「いつも人と違うものを見つけるのね」と言う冒頭。アンは服に限らず「人と違うもの」をいろいろ見つけたい人で、この頃はその意欲と良い予感が希望に直結しています。ライラはアンのそういう内面を、敏感に受け取って素直に認めています。
ところでライラには、現実になかなかついていけない弟バディ(ヒュー・ダンシー)がいます。アンはこの姉弟と大学時代の友人で、バディにとってアンは輝かしい学生時代を象徴する存在です。もちろん彼の思い込みなのですが、そういった、のちに悲劇の伏線となる事情や育ちの違いに関係なく、アンとライラが親密な理由は、最初の台詞をライラが言った途端、明るい光が差し込んで来たように理解できました。

s-サブ2


アンのような人が主人公で、彼女とライラだけでなくバディからも熱い視線を送られる男ハリス(パトリック・ウィルソン)が出てくる映画では、当て馬も必ず出てきます。今回はアンの二人の夫がそれです。二人目にいたっては、アンに「髪がすてきだった」と、かなりどうでもいいことしか述懐されません。立体なのに書き割り的な、彼らの容姿や佇まいに注目するのもオツです。監督は前作の『華麗なる恋の舞台で』でも、主人公(舞台女優)の劇中劇の共演者に、もう完璧に書き割りが動いているみたいな、オヒョイ風の芸歴長そうな俳優をちょっと出していました。こういう細部が緻密で面白いです。

原作はアメリカの人気作家スーザン・マイノットの小説です。原作には何十人もの人物が出てくるそうなので、階級社会の上の方の、意地悪かつ面倒くさい関係性に頭をしびれさせながら読んでいくという、映画とは異なる楽しみがあるかもしれません。マイノットと共同で脚本を執筆したのが『めぐりあう時間たち』の原作でピュリッツァー賞を受賞した作家のマイケル・カニンガム。彼をはじめ出演者とスタッフには、アカデミー受賞歴が当たり前のように名前の横に並ぶ人々が集合しています。

50年代のシーンの中心となる、ウィッテンボーン家の格式ある別荘は、映画だとニューイングランド沿岸ロードアイランド州にある設定で、ロケはニューポート(ローズクリフ、トリニティ教会、イーストンビーチ)をはじめいくつかの町で行われています。特に実在の家を使った東海岸の別荘の映像は、安い感じが全然しなくてさすがでした。なんだかもう何かオスカーを取っているような、ノミネートされなくても絶対「ハズレ」の映画じゃない雰囲気が伝わってきます。しいて言えば、そこが少し小粒にも感じられる作品です。

映画の一言
「才能がないと認めるのは大変なことなのよ!」
アンの次女、ニナ(トニー・コレット)の台詞。
何か始めても長続きしない、根無し草生活を姉からなじられて。

作品情報
2/23(土) 日比谷みゆき座ほか全国ロードショー!
©2007 Focus Features
配給:ショウゲート
上映時間:117分
公式HP:http://www.itsunemu.jp/
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2007年 04月 17日 (火) 00:00
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上は1563年にブリューゲルが描いた「バベルの塔」です。美術史家の森洋子氏は

画面の左側に広がる町の景観に、ブリューゲルが自ら結婚式を挙げたブリュッセルのノートルダム・ド・ラ・シャペル聖堂を密かに描いたことを、筆者は発見した。彼自身も、「罪深い世界」を建設する工人の一人と思ったのかもしれない。

と書いています。(画像と引用は『バベル』プレス資料より)

よーく観ると画面左の木の近くに、一人ぽつねんと歩いている人がいます。


これ惜しいなあ。逆立ちして笑っている老賢者かサーカスの人だったらいいのに。
「見方変えたらその塔、下に向かってますが」ということがわかりやすくなったのではないかと思います。ただそうすると、ポンチ画になってしまうかもしれないです。

4/30、SWITCHonExciteに書いたバベルの記事です。→バベル
2007年 04月 09日 (月) 00:00
試写に間に合わずVHSで観ました。映画の中のキャラクターが演技をして人を騙すということで、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』などと構造は似ています。ただ話が進むにつれて騙しが大胆に+堂に入るのとは逆で、ジョニー・ノックスヴィルの演技がどんどんほころび、『ジャッカス』の時と大して変わらなくなっていきます。IMDbからスチールを紹介しましょう。

水以外の液体だったら完璧『ジャッカス』です。




たしか『ジャッカス』でも、ショッピングカートが出てきたはず…と思って探したら画像ありました。こちらが『ジャッカス・ザ・ムービー』。
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過去ローレンス・オリヴィエ賞に2度輝いたブライアン・コックスは、ノックスヴィルと反対に、どんどんヒートアップしていきます。
ところでコックスが近作で演じた役を眺めると…

『X-MEN2』
やおらミュータント狩りを始める大富豪
『マッチポイント』
一代で財をなし、イギリス上流階級に成り上がる経営者
『リンガー!』(今回)
風俗通いで借金漬けのあげく、甥(ノックスヴィル)に障害者を装わせ、
スペシャル・オリンピックスに出し、金儲けしようとするろくでなし

フィルモグラフィーがすでに、人生ゲームみたいです。

ブラウスタイン監督の前作『ビヨンド・ザ・マット』つながりで、レスラーのゲストがいるといいなあと思ったら、期待どおり出演していて嬉しかったです。ゲイリーの金貸し屋(スポーツ賭博の胴元)の用心棒を、テリー・ファンクが演じていました。もちろんブライアン・コックスの首根っこを押さえたり、豪華な絡みを見せてくれます。

あと『ギャラクシー・クエスト』に出ていたジェド・リースが、アスリートのグレン役で登場します。『リンガー!』は主人公のほころびまくりの演技が不可欠な作品なのですが、リースがノックスヴィルの役だったら、この映画成り立たないぐらいの、濃い演技をしていました。
映画の中では、リースが人指し指でピアノの鍵盤を叩いたり、少したどたどしく「ピアノマン」を弾く場面が出てきます。でも鍵盤の押し方が、メリハリのきいた自信のある力強いタッチで、妙な感じだったなあと記憶に残っていました。
実際、リースはピアニストでもあるんだそうです。巧い人があえてそういう弾き方をするのは、やっぱり難しいのかなと思います。

5/31、SWITCHonExciteに書いたリンガー!の記事です。→リンガー!
2007年 03月 22日 (木) 23:32
『ドリームガールズ』を観に行ったら、予告編に突然二人の監督が出てきて
 「スティーブン・スピルバーグです」
 「マイケル・ベイです」

スクリーン下方には
 『宇宙戦争』スティーブン・スピルバーグ
 『アルマゲドン』マイケル・ベイ  の文字が。

えええっ。
これが代表作でいいのでしょうか。なぜってどっちも相当なドボン映画では…。デレク・ジャーマンの『ブルー』も、一つだけ彼の代表作をあげてくれと言われた場合、推すには迷う作品です。

それで映画漫才でも始まるのかと思ったら、二人がタッグを組んだ新作『トランスフォーマー』の宣伝でした。
いかに新しい試みかを力説しつつ、ちらちらと映像を見せるのですが、どうにも観たことがあるような気がします。両方の映画のカットシーンを繋いだ、と言われれば納得できそうです。私だけでなく友人も同意見でした。
それで最後に声を揃えて「ゴーキターイクーダサーイ」。
これはこれで面白かったのですが、せめてもう少し気の利いたウソで、期待を煽ってほしかったです。

『ドリームガールズ』のメモはこちらです

思えば『父親たちの星条旗』の米兵上陸シーンも、『プライベート・ライアン』の冒頭で使わなかったシーンを持ってきたのかという既視感にとらわれました。

上陸時の映像の作り方が、そっくりに感じられたのです。
まずとてもexpendableなやり方で、兵士たちが海岸に上がります。これは、一つ一つ肉弾戦で厄介な場所を潰していく、という当時の戦術なのかもしれないです。それを姿の見えない敵が迎撃する。どこから撃ってくるのかわからない怖さは『父親たちの星条旗』の方が徹底していましたが、たとえば高射砲がドーンと打たれたら、舞い上がった砂だけを描くというピンポイントな描写が似ているなあと。広範囲で戦いを撮っていないのは、お金がかかるからなのでしょうか。

この映画は『硫黄島からの手紙』と対をなす作品だそうですが、私はイーストウッド監督の『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』に続き、影がどう扱われているかに注目して観ました。
2007年 02月 28日 (水) 00:00

画像元・作品紹介はこちらです


不思議だったところ
耳と頭のいいプロデューサー兼マネージャーのカーティス・テイラー(ジェイミー・フォックス)がいろいろ売り方を練り、それに乗っかって歌手が成功する。で、いまひとつ売れなくなると、みなさん「自分(の音楽を)探しに」飛び出していく。彼らがうまくいっている状態とか、ちょっと不穏になるが思い止まって一緒に仕事をしたりする時に、互いに呼び掛け合う言葉「ファミリー」。これは「マネー」の隠語、ということでよろしいのか。

よかったところ
1アドレナリン爆発のナンバー『キャデラック』が白人にパクられてしまい、「みんなの白昼夢」みたいに骨抜きにされるところ。およびその白昼夢ダンス。

2最初のオーディションで、ドリフコントのように降りてくる緞帳。

3エディ・マーフィー全般
ライブ中継のショーに出たクスリ漬けのジミー・アーリー(エディ・マーフィー)が「傷つけたらごめんね。君に去られたらつらい」的バラードを歌いあげる場面。舞台袖に愛人、客席に奥さんがいるため、次第にどっちに身体と脳が向いているのかわからなくなる。
この後やおらズボン脱ぎ→契約打ち切り→場末のホテルで決めすぎて死亡のニュースと、とととんと映像が進んでしまうのだが、つまらない唐突な補足ショットには感じなかった。むしろそれまでのジミーがすばらしいので、彼がこうなるのはすごい必然のように思わせる。

いっそ映画ではジミーとエフィー(ジェニファー・ハドソン)と、渋いマネージャーのマディソン(ダニー・グローバー)にもっとスポットを当てて、舞台・映画どちらにも全員出てくるが、二つ観ると奥行きが広がる作品にすると、面白かったかもしれない。
オリジナルの鳥獣戯画:舞台『ドリームガールズ』、鳥獣戯画のうさぎからみたかえる:映画『ドリームガールズ』のように。

4シンガー ビヨンセ・ノウルズのスリリングな台詞
「そうよ、私には無理だわ」
新たにドリーメッツのリードボーカルにするからと言われ、それまでリードだったエフィーが怒る。それを受けてあっさりと言う。
  
 ビヨンセ渾身の演技       
テイラーに「君をリードにしたのは、君の声に個性も深みもないから」と言われている時の表情。きつくない顔だちの人がこういう表情になると、物悲しさがつのる。諦念と切ない感じがよく出ていて、プロデューサーの耳がいかに正しいかも暗に強調されていた。

まとめ
「黒人なるもの」を白人にいいように奪わせるのではなく、等価交換にもっていくまでの大変な苦労史を綴った作品。叶えられたアメリカン・ドリームの話だ。
ドリームがナイトメアになるアジアンと、キリスト教の「救い」がちーとも機能しない世界を描いたミュージカル『ミス・サイゴン』。『ドリームガールズ』のモータウンの成功譚は、「アメリカン・ドリーム」を歌うエンジニアが、コバエのように幻想のキャデラックにはりつく『ミス・サイゴン』のあの場面より、数年前の出来事になる。

尺がテレビにぴったりだった。3夜か4夜連続で、前後にザ・スプリームスの雑学とかモータウン関係者のインタビューとか、舞台の話などを入れて放映するのが似合いそうだ。

ミュージシャンがたくさん出てくる映画ならではのすてきな虚構は、そんなになかった。(『キャデラック』ができるまでの場面は、その感じが少しある)。
虚構というのはたとえば『五線譜のラブレター』なら、みんなグダグダのままプールサイドで作曲しはじめ、うへえ~あざといとクサりつつ、できた甘甘バラードは大ヒットになるとか。その他いろいろ、性格的に相容れなかろうが初対面だろうが、お互い楽器をちょっと演奏したら才能から履歴まで丸分かりで、快楽に突き進んでいくセッションとか。

ジェニファー・ハドソンのプロデビューは、地元で上演されたミュージカル『ビッグ・リバー』だったそうだ。葬式の場面で歌ったのだろうか。当時のレビューを読んでみたい。
2006年 09月 28日 (木) 01:10
20日 シネスイッチ
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感じのいい人間がなかなか出てこない映画ですが、長年の仕事場&飯の種N.Y.を離れた70歳の監督の視線に、厭世感が皆無なのが興味深かったです。
テニスのミックスダブルスを意識したような、4人の男女のキャスティング。イギリスの上流階級が舞台になっています。
でも彼らに対する皮肉たっぷりな描写とか、その階級外の人間の欲望なんてのは表層的なことで、運や偶然を作り出した人間の、都合のよさと面白さの両方を、じっくり描こうとした作品なんじゃないかと思いました。
詳しくはSWITCHonExciteに書く予定です。

10月7日にアップしました。マッチポイント
2006年 05月 02日 (火) 23:39
1日 シネコン
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東京ブロードウェイという、劇団四季が主張する区域があるらしい。いっこのカンパニーでそう言われても、よけいにもの悲しさがつのる。でも他に参入できそうな劇団というと…四季・宝塚・四季・宝塚…端抑えてる方が偉いとか、オセロみたいになりそうだ。

映画を観ている間、同行者ともども笑っていない時がほとんどなかった。他のお客さんの反応もすごくよい。終映後二人して、祭帰りの小学生のようになる。
撮り方はベタではなくヘタなのだと思う。映画として撮ることを、ほとんど放棄していた。が、舞台より親切なところもあり、作品の本質はまったく変わらず、オリジナルキャストが大勢出ているという良さが。レビューは渾身の力で紙風船の方に書く。

マシュー・ブロデリックは「トーチソング・トリロジー」の頃から、年相応の変化はあるものの、さほど印象が変わらないように思えた。あの頃一まとまりで若いスターがいたはずだが(総称してなんとか。パケット・パックとか、絶対違うけどこんなような名前で呼ばれていた)、後の人々はどこへ。名前は名門なのに、尺がテレビの人とかいたような。
2006年 04月 29日 (土) 23:53
28日 東劇
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断然、同時上映の日高川(人形振り)の方が面白く感じた。映像によってうまく消されるものと強調されるもの、双方の相乗効果で大変なことになっていた。

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