大福帳
 

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2006年 05月 05日 (金) 01:21
3日 新橋演舞場


座頭の吉右衛門は、具象→抽象の飛び方が鮮やかで勢いがあり、今の歌舞伎役者で一番好きだ。
ここ最近観た吉右衛門

「勧進帳」弁慶は、具象に戻しつつ話を展開させていく富樫(富十郎)の台詞に「短かすぎないか」という違和感を皆と覚える。今考えても、かなりカットしていたと思う。
六方飛びに入る直前、今日切り抜けた弁慶としての運命に、舞台に、客席に、と三方向に見せた吉右衛門一瞬の表情がすばらしかった。 

「日向嶋景清」(吉右衛門作)は簡素な舞台装置で、しかも一人で具象→抽象の飛ばしを見せる場の多い舞台だったと思う。そういう作品を創作して上演する、吉右衛門の関心の方向性が感じられた。

「床下」これは幸四郎との、大変珍しい共演。上方のおばちゃんたちの見事なチームプレイの下で、妖術を使った荒事が。芝居らしい芝居とカルト両方楽しめる。

さて今月。
一、増補双級巴 石川五右衛門
中村吉右衛門宙乗りにてつづら抜け相勤め申し候

俗説を盛り込み見せ場を繋いで宙乗りまでする、無理を究めた作品。
吉右衛門の持ち味と相まって、非常に愉快なアブストラクト絵画を観ているような気分になる。装置の転換や準備が大変なのか、裏方のドタバタが伝わってきたのが惜しまれた。

ニ、京鹿子娘道成寺
白拍子花子 福助

今まで役者のリズム感や柔軟性・姿に目がいっていたが、基本的には「この娘おかしい、変」という作品なのかもしれない。要するに花子はもう生きていない怨霊だったわけで、とても美しい白拍子だが、本物のヴィーヴな若い生物にはない、きれいすぎるまがまがしさ、カビ臭がどうしてもはみ出てしまうという。
最初に能を受け継いだ舞を舞い終わった後も、ちらっちらっとその「おかしい」感を覗かせつつどんどん妖しくなり、最後蛇体となる。

…という悲しさを、福助の花子に観た。特にかっこや花笠などを持って艶やかに踊ると、無機物である小物と、すでに体温を失っている花子の実体が一つに繋がり、冷たさが無機物を通じて可視になる。

日舞の友人から、先輩方の話として聞いた逸話。
歌舞伎座・新橋演舞場で同じ日に踊りの会があり、時間差でどちらの会からも所化の仕事を頼まれた。それで、一つ終わると水色の坊主ヅラをかぶった舞台衣装のまま、それっと何人かで走りワゴンに乗り込み移動したそうだ。なんとフォトジェニックな。

三、松竹梅湯島掛額

吉祥院お土砂
かけると身体がぐにゃぐにゃになる砂が活躍する、すこしふしぎな数十分。
火の見櫓
歌舞伎役者の身体を観て声を聴くと、今日はえらいところにきてしまったという畏怖の念とグロテスクな美しさをいつも感じる。なんというか「お腐れ」の魅力に圧倒されるのだ。
亀治郎の八百屋お七は、「お腐れ」におもねらない強い若さがあった。
まず身体と声からわかる年齢的な若さを、隠しもしない。それでいて人形振りの、ゆるい「く」の字を描いた身体をガクンと反す腰の表現(人形の「振り」であるがゆえにかえって艶めかしさが増す)、腕や手の技巧などとても上手だった。若いのと熟したのと、両方の身体言語を次々繰り出してくる役者だ。
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