大福帳
 

大福帳
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2006年 05月 09日 (火) 00:00
東京文化会館
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アスピシア-ファラオの娘:スヴェトラーナ・ザハロワ
ウィルソン卿-タオールという名のエジプト人に変身してしまうイギリス人:セルゲイ・フィーリン
ジョン・ブル-ウィルソン卿の使用人で、パッシフォンテという名の
エジプト人に変身してしまう:デニス・メドヴェージェフ
ラムゼ-アスピシアのヌビア人の奴隷:ナターリヤ・オシポワ

懸賞小説を読んでいるような楽しさがある。プロットは…エジプトで阿片を吸って墓で寝たら、タイムスリップしてかっこいい青年になった俺。ものすごく美しい娘が出てきて、危ないところを助けたら猛然と惚れてくれた。宮殿に招かれる。豪華絢爛な宴。いつのまにか主役の俺。あとエキゾチックな踊り。そして娘は自分と駆け落ちしてくれる。押しかけてきた婚約者を拒絶して、貞操を守ろうと漁村で入水。うまいことこの世に戻ってきて、俺も間一髪で助かりめでたし(死んだ奴隷は気の毒だった)。俺、また踊りまくる…。
このゆるーい妄想の加減と曲の単調さ、変身の時にビリビリいっていたマジックテープなどのトホホ感が見事にマッチした。
ゆるい一方で、ディテールの異様な細かさもまた、「ここに全精力を注ぎ込んだんだなあ」と丸分かりになるマニアな小説のようだ。アスピシアの頻繁な着替え、ほとんど踊りっぱなしの主役、ジムナスティックで難しく、決まった時は爽快な振付、宮殿のシンメトリーな群舞、水宮の幻想的で繊細な美しさなど。
神輿のように担がれた2人が抱き合うもっともいいところで、そんな都合のいい話はやっぱり夢でしたとなり、ミイラのそばでウィルソン卿が正気に返る。他の古典作品に出てくる主人公より、ずいぶんまともで現実的な設定だ。
初演時は、見果てぬ豊かな国へのバーチャルツアーという側面もあったはずだ。当時の流行りものを全部つめ込んでヒットした作品でもある。なみの異国情緒だけでは満足しなくなった客は、この場をよりリアルな夢として感じたのだろうか。
ザハロワは、妄想の中に出てくる美女にぴったりの容姿だった。長身で理想的な造形、音符がつまったような身体は、今クラシックバレエの全幕を観るのにベストなダンサーの一人ではないかと思うが、演技の面で先入観に応えてくれない、という趣旨の意見も聞く。
私はバレエを、音楽を柱にした立体抽象絵画のような捉え方で観ている。古典やバランシンだけでなく、ドラマティック・バレエもそういう見方で観ると面白い。というよりスポンジになったような気持ちでバレエを観ていると、言葉から開放された状態になるので自然にそうなる(意識が笑いに転じ始めるともうだめだ)。全幕のバレエのキャラクターは、私にとっては段取りとかお約束に近い存在で、幕が上がる前に役に求めるような強い先入観は、できるきっかけがない。それがいわゆる「ザハロワの物足りなさ」を感じない理由かとも思う。
でも雑多な先入観を引き受けてなお、観客に深い感動を与えるダンサーを観るとやはり感動する。だからザハロワを観ている時はいろいろ考える前に、あの身体と高い音楽性に一挙にすい寄せられているのかもしれない。
フィーリン、足さばきが速すぎて何回クロスさせているか、しっかりカウントできない。ザハロワと二人で平行に、奥から正面に向かって回転してくるなど少しずれても目立ってしまう振付だったが、タイミングもよく合い、一つ一つ丁寧に、軽やかに踊っていた。
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