大福帳
 

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2006年 12月 20日 (水) 07:03
TVで画期的な映像が流れた模様です。
「学校で行こう」と「マラーホフ」を検索に入れて当サイトにいらした方が、突然増えました。でも検索に入れて引っかかるのは、たまたまその2語が、このサイト内に散らばっているからなので、少し申し訳ない気持ちになります。
そこで、せめてマラーホフについて言及してあるものを出そうと思いました。以前非公開のサイト「逃げ去るイメージ」に載せたマラーホフの記事を、だいぶ加筆の上、一部転載します。
ふだん非公開にしているのは、とりわけ内容がくだらないと思うからです。そこから表向きではない記述を抜いたので、さらに鶏がらのようになっております。お許しください。

024.jpg

つくづく、動画の方が生き生きとして見えるバレエ・ダンサーだと思いました。
ネットに落ちてた画像をちりばめながら紹介します。

まず、どうして写真だと、赤毛ものをやっている森進一似になるのか不思議です。
malakhov.jpg

ABTのスター4人で撮っているこれは、ポーズからして割を食ってます。
(右端、びっくりオレンジがマラーホフ)
17.jpg

さて、マラーホフ中心のガラ公演『マラーホフの贈り物』で踊ったソロ『caught』(ストロボを持って暗闇で一人踊る。光の効果と、精緻で消しゴムが2ヶ落ちたくらいの着地音しかしないジャンプにより、ずっと空中を移動しているように見える。そのままありえない世界に行ってしまいそうな身体)を観た後、ものすごく楽しいのではという予感に導かれて買った、マラーホフのDVD『True Prince』。
ぜひお勧めしたいドキュメンタリーです。友人は悶死しそうになったとのことです。
(略)
『マノン』の稽古兼指導風景は、マラーホフの熱が入るあまり、 一人でデ・グリューとマノンの勘一お宮芸を延々やっている感じです。紫色のロンパースを着込んだマラーホフも、大変印象的です。
s-40303.jpg
ハイライトは、ノーカット、ロケーション(マラーホフが鞄を持って、街中をうろうろしてどこかに去っていく映像)付きで収録されているソロ『voyage』。
images1.jpg imagesvoyage.jpg

「バ、バ~イ」 「アハッ(泣き笑い)」に見えます。実際の振付もこのとおりです。
マラーホフの踊りを観ていると、この人は踊りながら消えることを目指しているんじゃないかと考える時がしばしばあります。奇術的な仕掛けでその場から消えたように見せるという意味ではなく、フワーと跳ぶ、軽そうに動く、幻想の中にいるが非常にリアルに感覚を侵してくる生き物を演じる、というクラシックバレエの一方向をつきつめていくと、鍛練された強烈な印象を残す身体で、しかしいつでも見えなくなりそうという正反対のことを、表現するものになるのではないかと。

これは、あまりクラシックバレエの男性舞踊手に求められていないことかもしれません。が、ABTのダンサーに「僕が女だったら一緒に踊りたくない。彼に持って行かれそうだから」(記憶で書いたので細かい表現は違うかもしれません。『Born to be wild』より)と言わしめた、マラーホフの独特の身体にとても適っていますし、観る者にとっては「うわーこんなアプローチがあるんだ」という、今バレエを観る面白さを実感できるダンサーの一人だと思います。

その消えようとする身体(バレエの方向性、バレエの特権)は、同時に消えざるをえない身体(バレエのすごい制約)でもあるのだなと、『voyage』を観ると感じます。

インタビューでは、マラーホフが人を楽しませる天才らしいということがわかります。
(略)
ステージの映像は、稽古風景とリンクして『マノン』デ・グリューと『ジゼル』のアルブレヒトを踊る様子が少し収められいます。

今年の夏、『世界バレエフェスティバル 全幕特別プログラム』でマラーホフとヴィシニョーワの『ジゼル』を観ました。

第二幕(墓場)では、霊になったジゼルと墓参りに来たアルブレヒトが踊りますが、二人がキャラクターの性格だとか、わかりやすい単純な「物語の登場人物としての特徴」をどんどんそぎ落としていくのが気持ちよかったです。
そして異界の時間(おそらく自然界)と内的な時間(人間の意識)がギリギリと交錯し、最後に夜が明けた静寂の中、二つの時間がスーッと一つの柱になって流れて、あとは舞台に何もなくなったように感じたのにはたまげました。二人の身体はそこにあるのに。

物語は、退屈している貴族の中年に大変都合よく、うっとりできるようつくられているなあと、むしろ私は喜劇性を感じるぐらいです(村一番の器量のよい病弱な、でも踊りのうまい娘が、高貴な身分を隠して忍び会いに行く俺のことを理屈抜きでものすごく愛し、ある時俺に婚約者がいると知り、狂乱して死んでしまう。どんより墓参りに行ったらウィリーたちに命を奪われそうになる。娘に横恋慕していて、俺をうるさく責めた森番はまんまとやられたが、俺は死んだ娘が必死でかばってくれて助かる。皆に許してもらったってことで終わり)。観ている間は、もちろん話の展開に沿って大いに楽しみますが、「ジゼルはこうであってほしいし、ここで泣きたい」といった、自分の先入観に答えてくれないと困るという気持ちはないです。
音楽を使うパフォーマンスを観ていると、そういうこととは位相の違う恍惚や衝撃を感じる時があります。

なおアルブレヒトには「ごめんね!!!!!!許して!!!!!!踊るよ!!!!!!ダメかー」を跳躍で表したような技「ブリゼ」があって、テクニックの見せどころとなっています。下手奥からミルタに向かって飛んでくるのですが、あれを観ても真顔で許さないミルタってすごいなと。

ヴィシニョーワ覚え書き…二幕、上からずっと吊られているようなすごい軽さと高速回転に呆然としました。あとカーテンコールで役の余韻をたっぷり残してでてきて、だんだんヴィシニョーワに戻ってくる目の変化がすばらしかったです。

実は全幕の『ジゼル』を観たのは初めてでした。全体的には「おいっちにい!さんし!」という体操的なリズムを極力感じさせない作品で、興味深かったです。東京バレエ団のコール・ド・バレエも、この時は揃っていて強さを感じました。

同じくマラーホフ×ヴィシニョーワ、東京バレエ団の共演で過去に上演された『バレエ・インペリアル』は、バランシンが抽象的な作品を次々発表する直前の作品です。音楽のきっかりした構造を、情感が内側から押してあふれ出て、作品に具体的な物語はないのに激しいドラマ性を感じてしまうという、荒波バランシンでした。コール・ドの列の間から躍り出てきたヴィシニョーワのティアラが、スイミング・キャップに見えたほどです。コール・ドは、その荒波に押され気味だったと思います。

日本の夏は湿気がお肌によいので好き、と笑顔で答えたという乙女プリンス。
(略)
最初の方に出した画像より、イメージが伝わりやすいのではないかと思います。
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