大福帳
 

大福帳
--年 --月 --日 (--) --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006年 04月 28日 (金) 23:15
27日夜 その時歴史が動いた ガリレオ・ガリレイ

偶然見た。
NHKの演出がしょぼい。松平定知アナがバチカンの機密文書館に入れてもらって、裁判記録を前にまずやったのが、なんと匂いかぎ。しかも「ガリレオって書いてあります」。
一般人の何を代表したかったんだろうか。テレビ向きに話せる学者を連れてけばいいのに。

『ウォーク・ザ・ライン』を観た時、主人公の二人のように、取り出せないこまかーな破片みたいにキリスト教のさまざまなことが脳にも精神にも入っている人で、教義の解釈とどーしても矛盾してしまう生き方(でも自分なりに大きな手応えがある)をしてる人の場合、教徒として生きていくのは大変だったんだと思ったのだが。
それはガリレオの時代から変わらんというか、ほとんどあからさまに不可能だった。でも、地動説放棄後に物理学の集大成となる著作をものしたということは、不可能ではなかったのかも。番組では、時代を考えると仕方ない著名なミスは除いて、業績が紹介されていたが

1.聖書に誤りがあるのではなく、それを解釈する人がたまに間違える。だから解釈を変えれば受け入れられると考えたこと
2.著作「天文対話」は、地動説と天動説を2人の人物に仮説として語らせ、判断を読者に委ねるというスタイルをとっている(ただし天動説を語る人物名は「(頭が)単純な人」)

この2つの手法を考えただけで、ガリレオはエッジな人だったと思う。そして前者は方法が正しくても、負ける時があるといういやな事実の証明になった。

教会にとって、敬虔なカトリックで偉大な物理学者のガリレオの著作は脅威であり、当時30年戦争で劣勢になったカトリックの権威を回復せねばならんということで、異端審問にかけてガリレオに地動説を放棄させた=政治と科学の対立であったということだが。
そのやり方で「いける」と思った政治の判断がとてもミステリーです。

放送では、この頃ガリレオの「天文対話」がベストセラーで、一般市民の方が説を受け入れていたという見方をしていた。

ほんとかなあ。
市民の意識が進んでたのか、ただ流行りだから読んでみたのか(しかも読んだからといって、即周りから異端視扱い&投石されるような書き方ではないし、見方によっては安全でスリリングな娯楽)、そのへんは怪しい。

でもとりあえず、日常における自然とのつきあいから考えて、地動説は合点がいくよねという実感が人々にあったとして。
教会の「明らかに異端」という判断と、科学に介入しまっせという事実上の布告と、ガリレオが身に覚えのない公文書を出されて追い詰められたという話を聞いたら、知りたくなかったことを知るような気持ちになるのでは。

あるいは多くの人にとって、判決は予想通りの結果だったか、それともこうやって宗教と科学は離れていく、という裏のメッセージとして伝わったのか。市民の反応を紹介してほしかった。
あ、そもそも権威の回復という命題は対一般ではなく、対抗勢力に「ローマの選んだカードはこれだから」と宣言することだったのかもしれない。

1992年にバチカンは誤りを認めた。それまでのガリレオ没後から350年あまりの期間って、考えたら江戸時代より長い。禁欲的な生活のリズムからこういうタームまで、バチカンには実にいろんなリズムが並走している。

戯曲も宗教の言葉にも聴衆がいて、有効性を問われるという点では共通しているように思う。
むかしイタリアにいた知人から、言葉の勉強がとても好きな人にとって、聖職はある意味一つの道と聞いたことがある。たしかに実用より語源などに興味を持っている人で、言語学的なアプローチをしたい場合は魅力的かもしれない。特にラテン語と古い文献に関しては、バチカンは宝庫だろう。
スポンサーサイト
copyright (C) 大福帳 all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。