大福帳
 

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2006年 04月 25日 (火) 01:00
24日 東京文化会館
swan_bottom.jpg


追記 07.06.12

昨日友人と話をしていて、エミリー・コゼットの話題が出ました。オペラ座でコゼットがエトワールに任命された夜のチケットを持っていたのに、都合で観られなかったそうです。もし観ていたら、珍しさでは私の体験(コゼットが途中から代役で登場した来日公演を観た)の比ではなく、あの公演のしょんぼり感を、私とともにわかちあった会場の方々の耳目を集めるレポートが聞けたのではないかと思います。

今改めて、公演を振り返ってみますと…
プロローグ、マリ=アニエス・ジロが、ロングドレス姿で出てきました。大きくてシャープな身体です。王子がうたた寝している脇で、ロットバルトとの絡みを少し見せます。後のオデットではどんなふうになるのか、期待が高まりました。

1幕後半、オデット登場。

………ジロが縮んだ!!!

別人(コゼット)が踊っている、と理解するのにどれぐらいかかったでしょうか、たぶん3分ぐらいだったと思います。

コゼットのマイムは、下のメモにも書いてあるように必死の形相でした。説得力ありとか手の動きに力があるとか、本筋(ロットバルトに囚われた悲しい身の上を訴える)に絡めて書いてますが、今ならもっとわかりやすく、こう表現できます。

「えっと私『大きな白鳥』のはずだったんですけど、急に上からオデットやれって。いやもう、ほんと急に。それで私抜けた分、ていうか抜けたのはジロなんですけど、役が繰り上がっちゃって、さっき舞台裏で叫んじゃった人とかいて(中略)タシケテ」

衣装が大きいのか、肩紐がずり落ちそうになりながら、このマイムをやっていました。ジロのを借りたのか、あるいはほかの日にオデットを踊ったアニエス・ルテステュの衣装だったのかな…。
王子のマルティネスは、驚いた様子はなかったです。「ああはい、了解」という落ち着いた表情でした。

追記終わり

JRダイヤ(1)もカンパニーもドミノ倒しになった日。プロローグ後にオデット/オディールのマリ=アニエス・ジロが降板した。別の役についていたアンダーのエミリー・コゼットが両役を踊る。(オペラ座の管理体制あやうし)

ここまで音楽の一音一音に技巧をつめこむかという難度の高い、しかも空間移動も激しい振付のところに、玉突きで役が繰り上がって混乱をきわめたため、舞台上はさながらトム&ジェリー状態に陥る。1幕途中では袖から驚いたような、へんな声が。以前、指揮者がピットで気持ちよさげに歌っていたバレエを観たので、うっかりノッてしまった歌声が聴こえたのかと思ったほどだ。

王子以外の男性の役を、すべて振付のヌレエフが踊って合成した映像で観てみたい。『チャーリーとチョコレート工場』のウンパ・ルンパの要領でやるのだ。そんなものはもはやバレエではないし、叶うはずもないが、多分それだと振付のほんとに細かいところまで、理想的なかたちで観ることができるのではないか。というぐらい天才のワガママを間接的に堪能できる振付だった。
舞台・衣装・メイクアップはとても洗練されていて、群舞の衣装をあえてくすんだ軽い色調にし、振付の流れの速さとの一体感を出している。対して、家庭教師/ロットバルト(パケット)はSFに出てくる悪い星の参謀風の衣装だった。マントの翻り方、軌道が鮮やかだ。きれいだが茫洋としてくぐもった周囲と、陰鬱だがはっきりと自分の「世界」になりつつある家庭教師、おそらくこれが王子(マルティネス)の脳に写っている現実である。

湖畔に行く直前、王子が床に座って物思いに沈むのだが、後ろにのばした片脚の曲線、白さ、しなやかさ、存在の儚さがすでに白鳥を暗示している。そして登場したオデット、王子に自分の境遇を訴えるマイムは音楽にのっていて、しかも実感が込められ説得力があった。裏方の事情を知ればなるほどと思う。アダージョでは手の動きが強く、希望を見出したオデットとして観ることができたが、その後は力尽きた。

「白鳥の湖」は、バレエに対する雑多な先入観というものの権化のような作品だ。だからこそこれまで、さまざまな新しい解釈や振付が試みられてきたのだと思う。古典の場合は、城の湖畔を舞台にした音楽絵巻の中で刻々と変化していく詩的な情感を表現するという、もやもやしているが感覚は非常にリアルなイメージを、ダンサーが豊かに造形する魅力がある。
この振付では客の先入観や求めるものにきっちり応えていて、いわゆるプリマの「待ってました」的な見せ場も盛り込まれている。32回転もあるのだが、コゼットは足にきてしまったのか辛そうで、後から「回りきっていなかったのでは」という話も聞いた。

こうしてオデット/オディールは、病的な王子と、本日も俺の思いのままなロットバルトを触媒するだけの存在になってしまい、後半は二者のドラマが強調された。
よかったのはパケット(ロットバルト)だ。身体にきれがあった。自分の見聞きした狭い体験から書くと、これまで彼は、どちらかというとトホホの代名詞的扱いだったのではないかと思う。今回は踊りの技巧より、整った容貌や冷たい表情が生きる役だったということも、大きな拍手を受けた結果に繋がったのかもしれない。
それからつねに安定していて、オデットの見せ場で停滞しかけた流れを戻し華やかな跳躍を見せたマルティネス、トロワの3人、特にティボーのすばらしいバネが記憶に残った。

白鳥の群舞はフォーメーションが変わっている。2幕最後ではアール・ヌーボー的な曲線を用いていた。ガルニエ宮の馬蹄型の客席にはまって観たらゾクゾクしそうだ。惜しかったのは文化会館の床が鳴りすぎて、音楽と混ざるともっさりした動きに見えたり、白鳥が一斉に向きを変える時、トゥシューズの音で「ぐひーぃ(向き変え)ぐ(向き変え)ぐひー」と鳴いているように感じられたことだ。シューズに松脂をたくさんつけているのだろうか。
男性については、コアラっ子のような体型のダンサーがいた。雑誌などでも、男性ダンサーの育成は国を超えた急務と言われている。去年来日したドイツのシュトゥットガルトバレエ団がいかに偉かったか、今回思い知った。(『ウェストサイド・ストーリー』に出てくるヨーロッパ系移民グループの方を、全員スタイルをよくしてずっと進化させた感じの、非ラテン系のダンサーが中心だった。上演作品の一つ、クランコの『ロミオとジュリエット』は、東京文化会館の幕に、東映やくざ映画の三角マークを入れたくなるすばらしい仕上がり。)

個人的には今回の来日公演自体に食指が伸びず、間際になっていろいろあって観ることができたのと、遅れてしまったのにぎりぎり間に合ったこと、あの超強気な料金体系の中では安い席だったので、損だったのか得だったのかよくわからない。珍しいものであったことには違いない。しかし来日の度に墓穴を掘っているこの感じは、ダンサーに起因することではなく、バレエ団組織の方の問題だろう。

この作品では国内オケの、管楽器のヘロり(「ナポリの踊り」の場面)が特に目立ち、それは悲しみをそそる音だった。細かなミスはどうしても出てしまうものかもしれないが、舞台への集中が途切れてしまう大きな失敗は残念だ。

(1)山手線で4月24日午前10時35分頃、高田馬場駅から600mほど新大久保駅寄りの地点を普通電車が走行中、異常な揺れと音のため緊急停車した。工事によるレールの浮き上がりが原因と見られている。この影響で山手線や埼京線などの約300本の列車が運休し、山手線は午後4時10分まで、埼京線は午後6時まで、湘南新宿ラインは終日運休となった。
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